亀さん 活き活きノート

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最後のサムライ「河井継之助」

今日のテーマは、幕末の風雲児河井継之助です

映画「峠 最後のサムライ」を観ました

 

この映画を観て、河井継之助に興味を持ったので

単行本を購入して、読み終えました

 

動乱の幕末を峻烈に生きた「河井継之助についてのお話です

 

 

 

 

龍が哭く 河井継之助

この映画の原作は、司馬遼太郎著「峠」ですが

<上・中・下>3冊も読破する自信がなく

 

ネットで検索したら、電子書籍はたくさんありましたが

紙の書籍はあまりなく、手元に置いて読みたいので

購入したのは、秋山香乃著「龍が哭(な)く  河井継之助です

 

単行本が届いてビックリ! 

プロローグ、第一章から第九章、エピローグまで

711ページ、単行本の厚さで約27mmほど

 

 

 

 

映画「峠 最後のサムライ」

主人公は長岡藩の家老・河井継之助

河井継之助役は名優役所広司さん、その妻すが役が松たか子さん

 

映画では長岡藩の家老として、奮闘する最後の一年

東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指し

戦争を避けようとしたが、徳川譜代の大名として

西軍と最後の戦いを決断する

 

そして、重傷を負い、最期は自分の首を相手に取られないように

従僕に火葬の支度を命じる

妻すがを愛し、国を想い、戦のない世を願いながら・・・

 



 

 

小説「龍が哭く 河井継之助

小説では継之助24歳すが子16歳の長岡藩は平和で

のんびりとした、ところから始まります

 

自由奔放で、妻を置いたまま、備中の山田方谷に弟子入り

『先生のお傍に仕え、一年でも二年でも、ものになるまで

学ばせていただきとうございます』と、言って懇願する

妻は長岡で、両親の面倒を見ているのである・・・

 

こんな感じで始まるが、継之助は江戸や長崎などで知見を広め

次第に藩主に認められ、要職に就いていく

 

 

【亀さんのひとり言】河井継之助について

生誕 1827年1月27日

死没 1868年10月1日

河井継之助記念館」は2か所あります

郷里:新潟県長岡市、死没地:福島県只見町

越後長岡河井継之助記念館 https://tsuginosuke.net

只見町河井継之助記念館

   https://tadamikousya.sakura.ne.jp/kawai/info_access

河井継之助について、詳しく紹介されています

 

 

龍が、天が、俺のせいで哭いている

そして、映画の内容のように長岡藩の家老として、戦で命を落とす

幕末の動乱の中で、戦のない世を願った、河井継之助だが

結局は戦に負けて、長岡藩の人々を苦しめることになった

このことについて、継之助は次のように言っている

 

『(龍が、天が、俺のせいで哭いている)

― そうだ、長岡の者たちよ、最後は俺を憎め。

俺は憎まれるために生まれてきた。そして今、

憎まれるために死んでいく。

 

それが、幕末という士(サムライ)の終焉を迎える時代に、

一藩を導く立場となった男の責務である。』

<単行本から引用(P.702、P.703)>

 

 

 

 

映画と小説

映画では、ベテラン役所広司さんが迫力のある「名演技」

妻役の松たか子さんも、息の合った夫婦役でした

 

さすがに最期のシーンは、スクリーンが涙で曇りました

 

 

 

著者の秋山香乃さんは「あとがき」の中で

 

河井継之助という人物は、英雄などではないが

戯(たわ)け者でもなかったのだということです。

 

また、どちらであるかはさして大切なことではない

と思うようになりました。

 

継之助はただひたすらに長岡を愛し、人々の幸福を願い、

懸命に生きました。人は時にそういう一途で真摯な姿に

胸を打たれるものではないでしょうか。』

 



 

「峠」著者司馬遼太郎

映画のチラシには、「峠」の著者司馬遼太郎

あとがきの一部がありました

 

『私はこの「峠」において、侍とはなにかということを考えてみたかった。

その典型を越後長岡藩の非門閥家老河井継之助にもとめたことは、

書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している。』

 

 

 

 

熱き心 河井継之助

『命なんぞ、使う時に使わないと、意味が無い』

 

この言葉(セリフ)は、映画の中で、戦に挑む前に

継之助が、妻すがに話すシーン

耳から離れません

 

ニッポンが震えた、熱き心

最後のサムライ「河井継之助でした

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました