今回のテーマは、美濃金山城跡に関する「山城の謎と国宝犬山城」です
第2回目「美濃金山城と犬山城天守」、美濃金山城と犬山城の関係
戦国時代にタイムスリップする、山城についてのお話です
講師、中井均さん
「考古学からみた美濃金山城」の講演会は、11月下旬
講師は、滋賀県立大学名誉教授の中井均さん
史跡美濃金山城跡整備委員会、委員長も務めておられます
美濃金山城跡との出会いは、55年ほど前とのこと
平成18年の第1次発掘調査から、参加されておられます
発掘調査から、戦国時代の美濃金山城について講演されました
<美濃金山城跡山頂周辺>
美濃金山(みのかねやま)城
美濃金山城跡は2013年(平成25年)、国史跡として指定されました
美濃金山城は1537年(天文6年)斎藤正義が「烏峰(うほう)城」として築城
織田信長が森 可成(よしなり)に、この城を与えた際に「金山城」と改名
「関ケ原の戦い」のあと、1601年頃に破城されたのでは?
その破城の跡が、わかりやすく残っている珍しい城跡です
破城とは、城の一部をこわして、城の機能をなくすこと(再利用不能)
<破城の痕跡>
美濃金山城は、織豊(織田・豊臣)系城郭の特徴が色濃く出ている山城で
石垣や、かわらぶき屋根の瓦、建物を支えた礎石などが、出土しています
<本丸虎口跡>※虎口:城郭・陣営の要所にある出入口
考古学からみた美濃金山城
美濃金山城跡地の発掘調査は、第1次調査が平成18年(2006年)に行われ
令和2年(2020年)までに、第9次発掘調査が行われています
発掘された遺物などから、美濃金山城の石垣の構造や、使われた石材
御殿や門・やぐらなどの礎石建物、瓦葺による城門などについて解説
発掘踏査によって明らかにできなかった、天守の有無については
遺構や遺物の年代から、1600年頃に改修が行われ、直後に破城
一説には、犬山城に移築されたとの伝承(金山越)もあるそうです
金山越とは、美濃金山城の用材が、犬山城築造の際に持ち運ばれた説
金山越については、次回講演「美濃金山城と犬山城天守」で明らかになるかも?
<美濃金山城のジネラマ>
講師、三浦正幸さん
講師は、広島大学名誉教授の三浦正幸さん
三浦さんは、現在放送されているNHK大河ドラマ「どうする家康」や
「鎌倉殿の13人」などの、時代劇建築考証もされておられます
歴史探訪番組「レキトビラ」にも、出演されています
YouTubeの「レキトビラ 美濃金山城」で、ご覧いただけます
<出丸の石垣>
美濃金山城と犬山城天守
三浦さんは建築学者であり、日本建築史の第一人者です
美濃金山城跡の遺構や遺物などから、間違いなく天守は存在したと推察
すぐそばを流れる木曽川を使って、用材を運んだのではないか?
明確に証明されているわけではありませんが、国宝犬山城の天守に
美濃金山城の用材が使われている、素晴らしい山城だったのでしょう
戦国時代の美濃金山城
戦国時代の激しい権力争いによる、城主の移り変わり
城主の城に対するこだわりが、お城の特色に表れています
すばらしい石垣の技術など、当時、美濃金山城は最先端の山城であった
その後、破城されてしまいました、悲しい運命の美濃金山城・・・
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました