新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
今回のテーマは、年の初めの「お正月」です
「お正月」に関する行事や、遊びなどがあります
なぜ「お正月」というのか、なぜ「お年玉」があるのか
なぜ「お雑煮」を食べるのか等、お正月にまつわるお話です
現在の1月1日
日本では明治の初めころまで、旧暦を使用していました
明治5年12月2日の翌日を、明治6年1月1日として
1ヵ月ほど日にちが、進んでしまいました
日本においては、このときから、現在の1月1日が
一年の最初の日になりました、1873年のことです
なぜ、正月というのか
一説では、年の初めの正しい月「正しい月」→「正月」
またある説では、新しい年の政(まつりごと)を
始める月「政月」→「正月」
元旦と元日
元は始まりの意味で、元日は一年の始まりの日
1月1日を、元日と呼びます
では、元旦とは
元旦の旦は、日とーを組み合わせた、会意文字です
日は太陽、ーは地平線(水平線)を表し
太陽が地平線(水平線)から昇る様子です
元日の朝(午前中)を元旦という、言い方をします
元日は1948年 (昭和23年)に、祝日として制定されました
御歳魂(お年玉)
お正月は年神(歳神)様を、お迎えする行事です
年玉の由来は、諸説あります
歳神様の魂「歳神魂」→「御歳魂」→「おとしだま」
一年の最初に賜るものとして「年賜(としたま)」
新年のお祝いとして送る、贈り物全般を
「年玉(ねんぎょく)」と、呼んでいた例もあるようです
お年玉の中身
子どもの頃は、お年玉はお菓子だったような気がします
お年玉が現金になった由来は、江戸時代に商家が奉公人に
お小遣いとしてあげていた説、昭和30年代の高度成長期に
都会でお金をあげるようになった説、さまざまな説があります
年々、お年玉の金額が多くなっているようです
孫たちが多いと、年の初めから、大変な出費になります
お雑煮を食べる
「御歳魂」とは、正月に歳神(年神)様を迎えるために
お供えされた、丸い鏡餅のことで
お供えした後に、家族に分け与えられていました
その餅は、「歳神の生命」ともされており、家族に分け与え
食べることで、一年を無事に過ごせるようにと祈ります
お雑煮は「年神様」にお供えしたものを、食べることで
”神様のパワーをいただける” という言い伝えで
お正月に、お雑煮を食べることが定着したようです
お正月の凧揚げ
『♪もういくつ寝るとお正月 お正月には凧(タコ)揚げて
コマを回して遊びましょう 早く来い来い お正月♪』
これは子どもの頃、みんなが歌っていた童謡です
昔から凧揚げは、お正月の定番の遊びでした
最近では、近所で凧揚げの風景を、見ることはありませんが
お祭りなどの行事で、凧揚げをしているテレビの映像を見ます
凧の起源は、中国の紙鳶(しえん)で平安時代に伝わりました
紙で作った鳶(トビ)です
戦国時代には、狼煙(のろし)のように、凧も通信手段の
ひとつとして使われました
お正月になぜ凧揚げをするのか(諸説あり)
昔は、立春を年の始まりと考えられていたので
「立春に空を見上げるのは健康に良い」説では
立春(お正月)に健康を祈る、遊びとなりました
また、男の子の誕生祝に、無事に成長することを祈る
儀礼として、年の初めに凧揚げをした説などがあります
【亀さんのひとり言】「イカ」のぼり
呼ばれていました
江戸時代に凧揚げは、大人気となったのですが
凧揚げによる事故などが、頻発したので
幕府は「イカのぼり禁止令」で禁止しました
これに対して『「イカのぼり」ではなく、タコを揚げている』と
言い訳をしたそうです
当時、関東地方では「タコ」、関西地方では「イカ」
明治時代には、「タコ」で統一されたようです
凧揚げのタコは、海の蛸(たこ)ではないですヨ
凧、凪(なぎ)、凩(こがらし)は似ていますね
これらは、和製漢字の「国字」です
ゆっくりと過ごすお正月
お正月の風景も、随分と変わりました
子どもの頃は、稲刈りが終わった、近くの田んぼで
凧揚げをしていたような気がします
里帰りをして、家族そろってお正月を、迎えていました
おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん
そして、大勢の従兄弟姉妹たちと、「かるた」「すごろく」
「凧揚げ」「羽根付き」と、みんなでワイワイ言いながら
お正月を過ごしたことが、遠い昔になりました
祖父・祖母も亡くなり、両親も亡くなり
おじさんやおばさんも、年々減っていく状況です
今年も、新型コロナ用心のために、子供たちや孫も来ません
しかし、「御歳魂(おとしだま)」は用意しました
午前中に両親の「お墓参り」をして、近くの日帰り温泉に行き
ゆっくりと、お正月を過ごします
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました